四日市工場 ~20年の歩み~

第1章 創設(1992~1996)

1992年1月、東芝グループや地元経済・産業の発展への期待を一身に受けて、最先端メモリ製品の量産拠点である四日市工場が発足。豊かな自然環境、豊富な人材、優れた産業基盤に恵まれた三重県四日市市の地に、1990年から足掛けの2年の歳月を費やして工場用地を造成。1992年4月には待望の第1クリーンルーム棟が竣工しました。
翌年1993年には、前・後工程の一貫ラインが完成し、本格稼動。四日市工場最初の生産品種となる16メガDRAMの生産が開始されました。
1995年には、更なる生産規模の拡大のため、第2クリーンルーム棟が竣工。第1クリーンルーム棟より一回り大きく、次世代製品の量産が期待されました。
翌年1996年には、64メガDRAMの生産を開始。また、当社初のメモリ前工程の海外生産拠点としてIBM社との合併会社ドミニオンセミコンダクタ (DSC) の支援を開始。事業の拡大に向け、着実に足固めを進めていきました。

創設期の主な出来事

四日市工場 正規従業員推移

1992年の発足時には134名だった従業員数は、工場の発展と共に4年後の1996年には1,400名強と約10倍までに増員。
多くの従業員の力を結集することにより、発足からわずか5年で第2クリーンルーム棟操業を実現できました。

四日市工場 生産高指標

ラインの本格稼動が始まった1993年からDRAMの開発と量産化が順調に進み、生産高は右肩上がりとなりました。
第2クリーンルーム棟竣工に伴い、更なる量産が期待されていました。


※1993年の生産高を100とした生産高の推移

第2章 試練(1997~2001)

1997年に入り、台湾Winbond社の立上げに伴い技術支援のプロジェクトを始動。更に、同年6月には四日市工場設立以来の16メガDRAM生産累計1億個を達成。
翌1998年には、64メガDRAMの生産能力が大幅に増加する中、128メガDRAM・256メガNAND型フラッシュ・NOR・SRAMなどの次世代メモリ製品の開発も推進。また、後工程の子会社「四日市東芝エレクトロニクス」を発足し、1999年新建家が完成。この年には、DRAM・SRAMに加え、NAND型フラッシュメモリ(以下、NAND)の開発製造が四日市工場に集中し、生産規模が拡大した。
2000年には、NANDにおいて第32回市村産業賞の本賞を受賞。科学技術の進歩や産業発展につながる業績を挙げた研究者技術者に贈られる権威あるこの賞は、当社として28年ぶりの快挙であった。
設立から10年目にあたる2001年、IT不況の影響等から、汎用DRAMの製造・販売の終息を発表。これに伴い、「四日市東芝エレクトロニクス」も解散。目まぐるしい変化と発展を遂げ、走り続けてきた四日市工場に大きな試練のときが訪れたが、NANDを中心に高付加価値のメモリ製品に特化していくという新たな挑戦が始まった。

1997~2001年の主な出来事

四日市工場 正規従業員推移

減増を繰り返しながらも2,000人近くの従業員が、四日市工場の10年間を支えてきました。

四日市工場 生産高指標

DRAM生産の大幅増加に伴い、1997年~1998年の約1年間で2倍の生産高となりました。
その後1999年~2001年にかけての生産高の下落は、四日市工場の厳しい時代が表れています。


※1993年の生産高を100とした生産高の推移

第3章 復活(2002~2006)

設立から10周年を迎えた2002年、四日市工場では組織体制の見直しや技術・開発体制を整備するなど、メモリ事業構造改革を断行し、NAND型フラッシュメモリ (以下、NAND) の発展へ注力。2003年には、デジタルカメラやカメラ付き携帯電話の普及が進み、NANDの市場規模が爆発的に伸長。こうした市場ニーズに対応するため、四日市工場では増産体制を急ピッチで構築した。また、同年は品質マネジメントシステムの国際規格であるISO9001の認証も取得し、生産の基盤を固めていった。

2004年には米国SanDisk社との合弁会社である「Flash Partners社」を設立し、4月に生産効率の高い300 mmウェハーに対応した新製造棟「第3クリーンルーム棟」が着工、同年12月には完成。翌2005年の2月に竣工式を執り行い、当初予定よりも1年前倒しとなって生産を開始した。この年にはNANDの累計生産10億個 (64 MB換算) も達成。NANDそのものの多値化・微細化が進んで大容量化が可能となり、増大するデータニーズに応えていった。勢いはとまらず、2006年8月には最新設備を導入した「第4クリーンルーム棟」も着工。四日市工場発の製品の世界市場におけるプレゼンスを高めていった。

2002~2006年の主な出来事

四日市工場 正規従業員推移

2004年の第3クリーンルーム棟竣工に伴い、従業員数も年々増加。工場の生産拡大に多くの人が携わりました。

四日市工場 生産高指標

NANDの市場拡大を受けて、2005年~2006年までの一年間で約1.7倍にまで拡大。飛躍的な復活を遂げた四日市工場の姿がここにあります。

第4章 飛躍(2007~2011)

V字回復を果たし、軌道に乗る東芝メモリ事業。2007年6月には、世界最大級の規模を誇る第4クリーンルーム棟が完成、9月に竣工式が挙行され、急ピッチで量産化が進められた。しかし、全社からの期待を一心に集めた四日市工場は、2008年7月、高圧ガス保安法届出不備により、三重県から厳重注意を受けてしまう。二度と同じ事態を起こさぬよう再発防止策を講じ、全従業員が「遵法・安全最優先」の徹底・信頼回復を誓っての再出発。そんな中、将来の事業発展の生命線として、次世代メモリ製品の研究開発組織「先端メモリ開発センター」が四日市工場にて本格稼動。また、生き残りを賭けた第5クリーンルーム棟の建設を決定、10月には用地造成を開始。だが、時を同じくして半導体市場は悪化し、メモリ事業を取り巻く環境は厳しさを増した。

2009年7月、32nmのNAND型フラッシュメモリ(以下、NAND)の量産を開始。市況の回復とともに、2010年7月には第5クリーンルーム棟の建設工事がスタート。半導体メモリ後工程部門の開発力強化のため、東芝LSIパッケージソリューション株式会社(現:東芝メモリアドバンスドパッケージ株式会社)も四日市工場へ移転。 8月には24nmの世界最小チップサイズの大容量NANDの量産を開始。同年12月、生産品目がシフトしていくメモリ製品を数多く世に送り出した200mmウェハによる生産が終息。約18年という長い歴史に幕を閉じた。2011年4月には、待望の第5クリーンルーム棟が完成し、7月に竣工式を挙行。9月には、NAND累計(1GB換算)100億個を達成。さらには、4月に開発した世界初・世界最小の19nmNANDの量産を開始。微細化・高速化を推進することで市場ニーズに応え、拡大する需要に対応した。

2007~2011年の主な出来事

四日市工場 正規従業員推移

第4・第5クリーンルーム棟を竣工し、生産能力の増強に伴い人員も拡大。
社内外からの期待を背負った四日市工場の従業員数は、発足当時から比べると30倍以上の数にまで増員しました。

四日市工場 生産高指標

厳しいグローバル競争の中、安定した規模の生産量を確保するようになった四日市工場。
2008年に起こった世界的な経済危機、リーマンショックを乗り越えた今、次の時代への飛躍が待たれます。

【and more…】 2012年、そして未来へ・・・

2012年、20周年という節目の年を迎えることができたのは、地域や関係者の皆様からのご理解・ご支援の賜物と深く感謝致しております。
私たち東芝四日市工場は、この節目の年を契機に、気持ちを新たに、さらなる発展に向け従業員一丸となって邁進して参ります。そして、地域の発展に向けより一層全力を尽くして参る所存です。
改めまして、今後ともなお一層のご支援、ご鞭撻を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

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